出産からの8ヶ月の話
昨日で娘が産まれて8ヶ月になりました。
キリのいいタイミングでもなんでもないけれど
言葉として残しておきたい衝動とともに溢れてくる想いを
ここで1度、しっかりいろいろと書いておきたいと思います。
「帝王切開」で出産しました
自分の出産を振り返って
1番初めに思い浮かぶのは
「思うようにいかなかった」という、なんともいえない寂しい気持ちです。
予定日を過ぎてもいっこうに陣痛がこず、
入院して促進剤を使ってみたけれど、それでもだめで、
そのまま42週に入り、もう待てないと、結局、帝王切開を選択しました。
娘は無事、産まれてきてくれたので、
この選択は間違ってなかった、これでよかったんだと思いながらも、
産みの苦しみ・痛みを知らずして母になってしまったことへの罪悪感と後ろめたさが、今も心にひっかかっています。
忘れられないのが、娘を出産した日の夜中、
別の妊婦さんが出産をされた時のこと。
まさに今、産みの苦しみに耐えている妊婦さんの声、
励ましの言葉をかける助産師さんの声、
駆けつけた家族の声、
そしてついに産まれた赤ちゃんの泣き声。
病室で横になりながら聞いていた私は
気がついたら泣いていました。
自然分娩での出産がうらやましくてしかたなくて
「いいなぁ」が溢れて泣いてしまいました。
あの時のなんとも言えない気持ち。
人生最大の「うらやましい」でした。
出産直後はそんな気持ちでいっぱいで
娘が元気に産まれてきてくれたことを心から喜べず
誰かの何気ない一言に傷ついたりしました。
隣で寝ている娘を見ても、
私が産んだんだ、お母さんになったんだというような感覚がまったくなくて、
自然分娩だったら違ったのかな、帝王切開だからこうなのかな、と
不安と焦りに苛まれて
ただただ呆然と過ごしていたように思います。
もちろん、そんな日々の中にうれしいことも幸せなこともあったのだけど、
その気持ちに浸り切ることはできませんでした。
「実感がない」ということでいえば、
今もそれは変わらず続いていて、ふと、不思議な気持ちになります。
私、子供産んだんだっけ
私、お母さんになったんだっけ
その時にまた思うのです。
「帝王切開だったからな」
たった1つの夢「お母さんになりたい」のその後
昔から「お母さんになりたい」とよく言っていて、
それば、ずっと「やりたいこと探し」をしてきた私の
たったひとつの夢、のようなものでした。
でも、いざお母さんになってみたら
こんなにも変わらないものなのかと驚いています。
「お母さんになりたい」がまだ夢だった頃は
お母さんになったら、今とはまったく違う、すてきな世界(現実)が待っていて、私は大きく(素敵に)変化するんだろうな、とそう思っていたように思います。
けれど、想像よりもずっと、私は私のままです。
自分の相変わらずぶりに、自分でも驚くくらいです。
そして、それと同じように、現実も現実のまま、です。
実際のところは
「今まで生きていた世界に、生活に、ぽんっと突然、赤ちゃんが現れた」
そんな感じやなぁと思います。
もちろん、生活はすごく変わりました。
赤ちゃんのお世話は思っていたよりも、たくさんやることがあるし、
それにかかる時間も、自分の思い通りにはいかない。
睡眠の主導権は娘が握っているし、
どこへ行くにも荷物は今までの倍の量です。
だけどそれはあくまでも表面的な変化で、
お母さんになる前に私が想像していたもの、期待していたものは、
もっとこう、魔法めいたキラキラしたものだったんだなと、
今になって感じています。
「子育ては大変」
そういう話はたくさん聞いていたし、
知識として、情報として知っていたので「わかってる」と思っていたけれど、
それが「経験」に変わると、こんなにも心身ともにインパクトがあるんだ、ということを知りました。
「わかってる」そう思っていた私が
いかにファンタジーだったのか思い知らされています。
でも、きっとそれは、子育てだけじゃなく、どんなことでもそうで、
今までの私は、リーダーシップをもって何かと向き合う、ということをしてこなかったんだな、と気づきました。
時空を超えて届けたい想い
娘と暮らして8ヶ月。
今はただひたすらにお世話するばかり。
もっと娘が大きくなると
さらにいろいろ難しくなるんだろうな、と思うと
それに対応していけるのか心配になります。
けれど、今、必死で目の前のことに対応しているように
未来の私もなんとかやっていけていると信じたいし
時空を超えて、今ここから、応援したいと思います。
それから、出産直後、
病室でモヤモヤしながら呆然としていた私にも
時空を超えて、慈しみの心を届けたいと思います。
帝王切開を決断してくれてありがとう。
自然分娩できなくて残念だったね。
でも大丈夫、赤ちゃんは元気に育ってるよ。
それから全世界のお母さんたちに、尊敬しています、と伝えたいです。
特に自然分娩で出産された方
どれほどの痛みなのか、私には想像がつかないけれど、その痛みに耐えて無事出産されたこと、本当にすごいことだと思います。
そして、もしここに書いたような想いに苛まれているお母さんがいれば、
私も同じです、と伝えたいです。
そして、
「いつの日かこの気持ちも、いい思い出になる」
一緒にそう信じましょう、とお誘いしたいです。
心にポカンと浮かぶ寂しさを、箱の中に閉じこめて、
もう見えない、なかったことにしたいけれど、そうはいかなくて。
だからといってそれをどう扱っていいのかわからない、
そんな時には、私は娘を抱きしめることでやりすごしています。
そうやって、愛しく温かい存在への感謝の気持ちを思い出しています。それは、どんな方法で出産したかよりもずっと、大事なことなはずです。
そして、帝王切開という医療技術にも、感謝しています。
調べてみたら、思っていたよりも長い歴史があって、
だからこそ、その流れの中に、たくさんの挑戦と決断と犠牲を感じます。
そこに関わったすべての人のおかげで、私は出産できたんだと考えると、
もう感謝しかないなぁと思います。
これからの私たち
出産からの8ヶ月、私の場合はこんな感じでした。
いやいや、もっといろいろあるなと思うけれど、
今溢れてくるものを素直に並べたら、こんな感じです。
こうやって書いたものを読んでいただいて、
どう感じられるかはわからないけれど、
おかげさまで、私は今、幸せです。
思うようにいかなかったことはあるけれど、
娘は今日も元気に過ごしてくれています。
幸せな理由はそれだけで十分で、
他のことは大切な宿題として向き合っていったらそれでいい、
そう考えることにしました。
そして最後に、
これからどんなに娘に夢中になっても、変わらない、変えたらいけないのは、
私が1番大切にすべき存在は夫だということです。
夫がいて、私がいて、娘がいる。
夫と私の2人から始まったこの世界。
娘がいてもいなくても、
私たちは私たちらしくしっかり繋がって日々を重ねていこうと思います。
そんな毎日が、娘を笑顔にしてくれると信じて
自分と、夫と、しっかり向き合っていこうと思います。